地方在住オタクのサードプレイス

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多様性を認める

多様性を認める社会を作りたい。ってことが大学の時に思ってた目標なんですけど、

最近気持ちが回帰して来ました。

 

ただ、そのまますべての行為や生き方を認めるのは難しいし認めろとは思わない、現実的じゃないですし。

 

せめて画一的すぎる社会の価値観が少しずつシフトしていけばいいのに、そして人に迷惑かけない範囲での生き方が認められるようになってほしい。

 

人に迷惑をかけないというのも曖昧ですかね。生活保護は批判されていますが、普通のサラリーマンの収入じゃ、行政サービスのコストの方が大きいわけですから。どちらも国の世話になっているのは同じでしょ。

 

そこの違いは「納税者」であるかどうかの違いだということがよく言われていますが、フリーライダーになりたいならなればいいわけで、自ら納税者たることを選択している訳なのだから批判の感情はわからないな。

 

 

そのためにはそういう人生の成功例に自分がなるしかないんだろうか、それでも今までとおり成功者を「よそはよそ、うちはうち」理論で無視し続けるんだろうか。

株とかいう資産ゲー

ちょくちょくいじってるけど、実際下がった時に買って上がった時に売る。

狼狽売りせずにいられるのはメンタルだけじゃなくて、資金力ってのは大きすぎる要素だと思う。

 

百万あれば十パーセントで十万、一千万で百万

もう生活費じゃないか...スタートの資金力は重要すぎる

 

日々の生活費でヒーヒーしてて、貯金もしない、できても少額って人が多いのが現状。

若い頃から資産形成を心掛けるのは大切なのかな。代々続く資産家ってのはそういう心がけの教育を重視してるのかな。

 

ポケモンgoで見せつけられる現実

ポケモンgoの都会と田舎の格差が話題になってるけど、これはある意味で意識現実に戻ったってことだと思う。

今までのソシャゲは位置ゲーとか一部のゲームを除いて、田舎も都会もプレイ内容には関係ない、時間か金をかけた方が勝つっていうゲームでした。

均質なサービスがどこででも受けられるのがインターネットの強みを大いに活かしたビジネスモデルだと思う。

でもそのなかでも、例えばアイドルマスターのライブや白猫のコラボカフェなどの現実が舞台のイベントは、ことごとく都心行われており、せいぜい地方政令市でもあるかどうかって様子でした。

今回ポケモンgoはそんな現実をまざまざと見せつけられるものだったと思います。

現状、インターネットは地政学的な世界を変えるまでの力はまだないということてすね。


つまり田舎の人は人がいないと盛り上がらない、という当たり前なことを忘れてしまっていたのではないかなぁと思います。
インターネットは万能ではない。

今後はゲームにおいても都心の人はアクティブで外にでて、田舎の人は従来の閉じこもり的な作品をやるようになるのかなぁと感じました。

手に入れてしまえばほぼ完結し存在しなかった同じソフト内での格差というものを一ゲーマーとして憂いています、、、笑

主体的幸福の重要性

仕事柄、いろいろ社会的に追い詰められている人と多く関わる機会が多い。

そのなかでも客観的に見て、同じような状況の人でも考え方や行動が多種多様であることに驚いてる。

大きな病気をしても、前向きだったり、病気を受け入れて自分にできる範囲のことをして、充実感を得られる人。そういう人は他人と比べたりせずに、幸福を相対的なものから主体的なものに取り返せた人なんだなと思う。

今苦境にいる人をそういう考えに少しでも理解してもらえるようになってもらうのが、今の仕事の意義なのかもしれない。

誰しもつらい時はあるし、逃げてもいいと思う。ただ、それを受け入れられたなら約束を守る人、周りに優しくできる人。そういう人に私はなりたい。